所在地非公開 O村

まいど、ボブです。

 

今回から数回は年始の探索記録です。

2020年は1月2日の早朝から探索に行っておりました!

 

 

前々から行きたかった場所に加え、再訪もしてきましたので記事にしていきます。

 初回は前々から行きたかったO村です。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

O村の歴史

ここはとあるテーマパークのルーツとなった場所です。

1983年開園、2001年10月に閉園。

2003年に地元行政が食のテーマパークとして再オープンしたようですが、再度閉園となりました。

 

O村の名物、メリーゴーランド

O村と言えばこれです。 前からこれが見たくて行ってきました。

 

 

1月に行ったのに蔦が枯れていないのはビックリしました。

観覧車など

この他には観覧車も変わった形をしており、かっこよかったです(^^)

 

 

ただし海側のウッドデッキは踏んだら海にそのまま落ちるような状態だったので、近づかないほうが無難です。

 

 

その他、「未来都市」という名前をつけられた建物の中が解体途中で放棄され、未来も何もない状態になっていました。

 

 

ここは階段が屋根裏まで繋がっていたりして、色々と探索できました。

 

その他の写真

 

まとめ

以上、2020年初探索の様子をお届けしました。

 

ここはまだ半分現役で使われていたり、近くの行政関連の施設から丸見えだったりします。

 

なのでもし行かれる際は最新の注意で行かれることをおすすめいたします。

笠○観光ホテル

まいど、ボブです。

今回は京都の有名な廃墟の探索記録です。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

笠○観光ホテルの歴史

笠○観光ホテルは1962年に開業。京都と奈良の県境にある川の近くに建てられました。

 

元々はホテルの前を車で通っており、かつ温泉もあったので賑わっていたホテルでした、宿泊料は2食付きで2,500円〜4,000円だったようです。

 

しかし現在関西に住んでいる方であれば分かるように、笠置行きの直通列車がなくなったことに加え、国道の新道にトンネルができたことにより客足が遠のきます。

 

結果、1990年に閉業となりました。

 

笠○観光ホテルの外観

外観はこんな感じです。

 

 

地上5階+地下1階という大きさに加えて、石垣の上に立っているので下から見上げる形になります。

 

ちなみに石垣は結構滑りますので、装備がない方や事前にルートを知らない方は行かないほうが良いと思います。

 

笠○観光ホテルの内観

 では中を見ていきましょう。

 

 

1階の入口部分にあったバリケードは倒れてしまっておりました。

この入口の天井も常に風でユラユラしており、危ない状態でした。

 

 

反対側から。

 

で、1階部分です。

 

 

木が選定してあれば、テラスから外の景色を眺められる作りになっています。

ちなみにここは落書きがかなり多いですが、許可された場所以外の落書きはやめてほしいなぁと思います。

 

 

室内には2箇所階段があったのですが、その両方共が落ちて吹き抜けになっています。

この物件は途中で解体工事が止まったとのことなので、その影響かもしれませんね。

 

では、残っている階段で上の階へ向かいます。

 

 

上の階へ行くと、宿泊部屋(だったと思われる場所)が現れます。

 

 

こんな感じで、川や山を見ながら温泉に入れたようです。

これが4,000円だったら絶対泊まりに行きますね。

 

ちなみに壁の向こうにはなにもないので、落ちたら死にます。

 

 

先程吹き抜けになっていた部分ですが、光がうまいこと欄干に当たってきれいな光景が撮れました。

 

で、どんどん上に上がっていくと屋上部分に出ます。

屋上の1つ下にはベランダのような場所があるのですが、そこから革の向こうを走る列車を見ることができます。

 

 

屋上部分はこのように水が張っていることが多く、奥のエレベーター制御室にはたどり着けませんでした。

 

ここは秋に来たら紅葉のリフレクションが撮れそうです。

 

 

こちらは先程の吹き抜けと逆側の階段跡です。

絶妙なバランスで落下していない状態ですね・・・。

 

まとめ

以上、笠○観光ホテルの探索記録でした。

ここですが、旧道を通っていくため落石に遭遇する危険性が高いです、。

 

 

また解体途中で放棄された物件ということもあり、どこが崩れるか分かりません。

もし行かれる方はお気をつけください。

京都市バスの廃バス

まいど、ボブです。

 

前回で台湾探索は終わり。

今回は以前から探していた廃バスを見つけた探索記録です。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

京都市バスの廃バス

以前からどこかの山中に京都市バスの廃バスがあるという話を聞いていました。

 

で今回偶然にしてその場所を見つけることができたので、行ってきました。

 

いつの京都市バス

で気になるのはいつの京都市バスなのかということです。

 

これは後ほど説明しますが、このページの情報をもとに考えると昭和36年に使われていた京都市バスだと思われます。

 

その理由は後ほど説明させていただきます。

 

京都市バスの外観

外観はこんな感じです。

  

 

近くに行くと、いすゞのバスだということがわかります。

 

 

当時の運賃は80円だったようです。

 

 

京都市バスの内観

中はこんな感じです。

 

 

いすゞ BR351だとおもった理由

この理由ですが、後ろの入口に書いてあったこの言葉です。

 

 

いすゞBR351だと思った理由は、前乗り後ろ降りだったことです。

これ以降のバスは全て後ろ乗り前降りだったようです。 今のバスと一緒ですね。

 

で、いすゞで前乗り後ろ降りだったバスはBR351しかないのでそうだと思いました。

 

まとめ

以上、京都市バスの廃バス探索録でした。

 

また違う季節のときに再訪して別の表情を撮りたいと思います。

FUTURO・VENTURO廃墟群

まいど、ボブです。

台湾遠征第5弾。 今回で台湾遠征はラストです。

 

今までの投稿:

haikyo.hatenablog.jp

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廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

FUTURO・VENTURO廃墟群の概要

台北市からバスで1時間ちょっとの場所にある「翡翠湾」

 

ここにはかつて別荘地として売り出されていた場所があります。

それが今回紹介する廃墟群です。

 

ちなみにFUTUROとVENTUROって初めて聞く人が多いと思うので簡単に解説しておきます。

 

VENTUROとは

Venturoは、1971年にフィンランドの建築家Matti Suuronenによって設計されたプレハブ住宅。コンセプトは「新しい週末のコテージ」

 

床面積は45m²、家の重さは4トン。

2つのモジュールに分けて出荷されました。

 

 

FUTUROとは

FUTUROは、マティ・スウロネンが設計した円形のプレハブ住宅。

1960年代後半から1970年代初期に作られましたが、全部で100棟も作られませんでした。

FUTUROの大きさは高さ4メートル(13フィート)、直径8メートル(26フィート)です。

 

 

この場所はこのFUTUROとVENTUROがいくつも残っています。

 

その殆どは使われていないのですが、一部の住宅はまだ住んでいる方がいますので注意しましょう。

 

FUTURO

 

こんな感じに、そのままつかわれているものもあれば建物の一部に組み込まれているものもありました。

 

 

VENTURO

 

両方とも中はこんな感じでかなり荒れています。

 

 

ちなみに僕らが撮影しているときにツアーガイドみたいな人がバンで来て、建物の紹介をしていました。

 

なので現地的にはここは観光地ですね。

 

まとめ

以上、FUTURO・VENTURO廃墟群の紹介でした。

 

ちなみにここの横には海鮮レストランの廃墟があるんですが、今回はタイミングが悪く入れませんでした

 

 

次回台湾行った際には絶対に行こうと思います!

Z寺

まいど、ボブです。

 

台湾遠征第4弾。 今回は山の上の廃寺の紹介です。

 

今までの投稿:

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廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

Z寺の歴史

1925年に「德實」という人が建設。

1973年の再建時に、違法建築だと指導を受ける。完成前に施主がなくなり、廃墟化。

2014年に解体を求めた抗議が起きますが、市の資金不足のため解体は実施されず。

 

2017年11月に不審火があり、4階部分が燃える。

2019年5月にも再度不審火が起こる。

 

というのが、現地のWikipediaからの情報です。

僕たちが行った半年前にも不審火があったのは初めて知りました。

 

Z寺の外観

外観はこんな感じです。

街から近いのですが、行くまでの坂がけっこうきついです。

 

 

では色々と紹介していきます。

 

Z寺の内観

火事が2回起こったこともあり、焼けている部分がけっこう多かった印象です。

 

 

Z寺の残留物1:仏像

ここは残留物が多かったのですが、なんと仏像もそのまま残っていました。

しかも1体だけではありません。

 

 

暗い場所に残っている仏像も多く、雰囲気ありました。

 

Z寺の残留物2:紙銭を燃やす台

台湾や日本の一部では、先祖や神様にお金を届けるために「紙銭」と呼ばれるものを燃やす習慣があります。

 

このお寺にも、そんな紙銭の燃え残りや紙銭を燃やす台が残っていました。

 

 

龍が横についていて、かっこいいですよね!

 

Z寺の残留物3:寝具など

部屋の一部が宿坊を兼ねていたのか、家具や寝具が大量に残っていました。

 

Z寺の残留物4:ピアノ

何故お寺にあるか分かりませんが、ピアノが残っていました。

 

 

Z寺のその他の写真

 

まとめ

以上、Z寺の紹介でした。

 

日本の廃墟ブログで全く見かけない物件なので、日本人で行っている人は少ないのかな?

 

台北からもそんなに遠くないので、再度台湾に行った際には再訪したいと思います。