六甲登山架空索道
まいど、ボブです。
今回は兵庫の六甲山にある駅舎跡の紹介です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
六甲登山架空索道の歴史
六甲登山架空索道は、かつて兵庫県神戸市灘区に本部があった事業者、およびその索道を指します。
1931年(昭和6年)に六甲山登り口~六甲山上間で営業を開始。
しかし1944年(昭和19年)に、戦時体制による鉄材供出のため、競合するこの2本の登山輸送機関(ケーブルカーとロープウェイ)のうち片方は不要不急線とされました。
しかし、索道の方が撤去が容易だということで廃線となった一方で、ケーブルカーは完全に撤去できないうちに終戦を迎えた。
六甲登山架空索道の写真
六甲山の登山口を入るとすぐ、右手にコンクリートの遺構が見えます。
近くに行くと、結構な高さです。
これは駅のコンクリ基礎の部分ですね。
ちなみに下にも入れますが、足が細くなってきているので気をつけましょう。
あと、3メートルから5メートル近くの深さの穴があります。
落ちたら自力では上がれないので気をつけましょう。
駅の痕跡はこんなところに残ってますね。
ちなみにこの建物は裏に回るとさらにかっこいいです。
いやぁ、おっきいコンクリの建物ってかっこいいですね。
まとめ
以上、六甲登山架空索道の紹介でした。
六甲山のケーブルカー駅から徒歩で1キロ位なので、近くの方は安全に考慮した上で行かれてはどうでしょうか。
Y温泉ロープウェイ
まいど、ボブです。
岡山探索の続きです。
前回の物件はこちら。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
Y温泉ロープウェイの歴史
Y温泉ロープウェイは、1975年に温泉地からダム湖に向けてかけられたロープウェイでした。
元々はダム湖の方にレジャーランドを作るという計画があったので作られたロープウェイでした。
しかしレジャーランド計画は頓挫。 結果ロープウェイも開設から6年後に閉業となりました。
Y温泉ロープウェイの外観
Y温泉ロープウェイの麓駅の外観はこんな感じです。
左のほうが山頂方面なので、そちらに向けて開かれています。
Y温泉ロープウェイの内観
Y温泉ロープウェイといえば、奥にある螺旋階段が有名です。
また、乗口上にある点検路の車輪もいい感じに錆びていて、味わいがあります。
ロープウェイの駅にある車輪はどれも大きくていいですね!
といっても、K岳くらいしか行ったことないですがw
まとめ
以上、Y温泉ロープウェイの探索記録でした。
螺旋階段にサクッと行くには、入り口をスルーして奥のドアから入るのがおすすめです。
Y劇場
まいど、ボブです。
今回は岡山に行った際の探索物件です。
前々から行きたかったところなんですが、中が真っ暗で撮影に苦労しました・・・。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
Y劇場の歴史
Y劇場は1976年から1986年に開業。
Y劇場があった温泉郷は1955年からの観光ブームに乗り、当時は旅館数28館・宿泊客3,000人超えという状態だった。
またこのY劇場の他にも12個の劇場があったらしい。
Y劇場の写真
入り口は道路からコンクリで作られた階段がありますが、所々抜けており危険です。
入り口には18歳未満入場禁止の張り紙が。
入り口から真正面に大きい劇場があります。
で、入り口左にある階段から2階に上がると音響室や控室があります。
2階から劇場脇に行けたようですが、今は床が落ちてしまっているので行けませんでした。
以前に行った A劇場 は火事でだいぶ燃えていたので、こことは全く様子が違いました。
また、小劇場もあったんですが今回は見落としてしまいました・・・。
また再訪しなくては。
まとめ
以上、Y劇場の探索記録でした。
岡山探索続きますので、次回もお楽しみに。
T紡績工場
まいど、ボブです。
今回の記事は廃墟探索ではなく、廃工場探索の記事です。
こちらの企業は現役であり、今回特別に許可をいただいて撮影させていただきました。
繰り返します。 廃工場ですが、管理されています。
無断侵入は会社に迷惑がかかるのでやめましょう。
T紡績工場の歴史
1919年創業。
同社のある半島は繊維工場が盛んな地域でした。
その後繊維業界はガチャマン景気と呼ばれる特需が起き、最盛期の昭和30年代には従業員数が630人を超えます。
そのときに工場内に社員寮なども整備し、工場内で生活が完結できるようになりました。
しかし、1992年に工場は閉鎖となり、同社は現在敷地の管理だけをしている状態です。
T紡績工場の外観
T紡績工場で有名な外観といえば、これです。
このノコギリ屋根の工場が有名なんですが、昨今の台風でだいぶダメージを受けております。
なので一部の施設に関しては見学不可、もしくは修復中とのことでした。
T紡績工場の内観
T紡績工場の中には様々な施設が残っていました。
工場部分
工場部分には紡績機械やその他様々な設備が残っています。
なお工場の入口には、重力を利用した自動ドアが設置されていました。
これは始めてみました。
変電室
工場の横には変電室がありました。
社員寮
社員寮は木造のものと、コンクリのものがありました。
なおお風呂は1箇所だけ? で、タイルが可愛らしかったです。
その他写真
まとめ
以上、T紡績工場を見学させていただいた際の記録でした。
前々から行きたいと思っていた場所なので、貴重な機会をいただき大変ありがとうございました。
T朝鮮学校
まいど、ボブです。
今回は岐阜県に行った際の探索記録です。
諸事情により、日が明ける前に入った物件です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
T朝鮮学校の歴史
T朝鮮学校は1975年開校。
開校時は「幼稚班」「初級部」「中級部」と、幼稚園から中学校までの役割を持っていました。
しかし1997年に中級部が、翌年に初級部が愛知県の朝鮮学校に統合。
休校となり、今に至ります。
T朝鮮学校 外観
では物件を紹介していきます。
物件に到着したのは、こんな感じにまだ月が出ている夜明け前でした。
というのも、目の前に民家があるからです。
これは帰る時に撮った正面玄関です。
冬に行ったのでこのように草が枯れてますが、夏は青々とした草で覆われています。
校庭もほぼ草で覆われており、他の人が通ったであろう轍を歩かないと足を取られそうです。
T朝鮮学校 内観
次に内部です。
T朝鮮学校と言えば、この空中教室が有名です。
空中教室以外にも何部屋か教室はあるんですが、ほぼほぼ残置物はないのと荒らされて落書きされている箇所が多かったです。
一部の蔦が覆っている教室には、ポートレートなどで使ったと思われる机と椅子が置かれていました。
(三脚持っていかなかったのでブレブレの写真ですが)
まとめ
以上、T朝鮮学校の探索記録でした。
ヘッドライトを持っていくのを忘れたため、地下には行けなかったです。
再訪する際にはヘッドライトを持っていって、地下にも行ってみたいと思います!