Y劇場

まいど、ボブです。

 

今回は岡山に行った際の探索物件です。

前々から行きたかったところなんですが、中が真っ暗で撮影に苦労しました・・・。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

Y劇場の歴史

Y劇場は1976年から1986年に開業。

 

Y劇場があった温泉郷は1955年からの観光ブームに乗り、当時は旅館数28館・宿泊客3,000人超えという状態だった。

 

またこのY劇場の他にも12個の劇場があったらしい。

 

Y劇場の写真

入り口は道路からコンクリで作られた階段がありますが、所々抜けており危険です。

 

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入り口には18歳未満入場禁止の張り紙が。

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入り口から真正面に大きい劇場があります。

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で、入り口左にある階段から2階に上がると音響室や控室があります。

2階から劇場脇に行けたようですが、今は床が落ちてしまっているので行けませんでした。

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以前に行った A劇場 は火事でだいぶ燃えていたので、こことは全く様子が違いました。

 

また、小劇場もあったんですが今回は見落としてしまいました・・・。

また再訪しなくては。

 

まとめ

以上、Y劇場の探索記録でした。

 

岡山探索続きますので、次回もお楽しみに。

T紡績工場

まいど、ボブです。

 

今回の記事は廃墟探索ではなく、廃工場探索の記事です。

こちらの企業は現役であり、今回特別に許可をいただいて撮影させていただきました。

 

繰り返します。 廃工場ですが、管理されています。

無断侵入は会社に迷惑がかかるのでやめましょう。

 

T紡績工場の歴史

1919年創業。

同社のある半島は繊維工場が盛んな地域でした。

 

その後繊維業界はガチャマン景気と呼ばれる特需が起き、最盛期の昭和30年代には従業員数が630人を超えます。

 

そのときに工場内に社員寮なども整備し、工場内で生活が完結できるようになりました。

 

しかし、1992年に工場は閉鎖となり、同社は現在敷地の管理だけをしている状態です。

 

T紡績工場の外観

T紡績工場で有名な外観といえば、これです。

 

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このノコギリ屋根の工場が有名なんですが、昨今の台風でだいぶダメージを受けております。

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なので一部の施設に関しては見学不可、もしくは修復中とのことでした。

T紡績工場の内観

T紡績工場の中には様々な施設が残っていました。

 

工場部分

工場部分には紡績機械やその他様々な設備が残っています。

 

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なお工場の入口には、重力を利用した自動ドアが設置されていました。

これは始めてみました。

 

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変電室

工場の横には変電室がありました。

 

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社員寮

社員寮は木造のものと、コンクリのものがありました。

 

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なおお風呂は1箇所だけ? で、タイルが可愛らしかったです。

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その他写真

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まとめ

以上、T紡績工場を見学させていただいた際の記録でした。

 

前々から行きたいと思っていた場所なので、貴重な機会をいただき大変ありがとうございました。

T朝鮮学校

まいど、ボブです。

 

今回は岐阜県に行った際の探索記録です。

諸事情により、日が明ける前に入った物件です。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

 

T朝鮮学校の歴史

T朝鮮学校は1975年開校。

 

開校時は「幼稚班」「初級部」「中級部」と、幼稚園から中学校までの役割を持っていました。

 

しかし1997年に中級部が、翌年に初級部が愛知県の朝鮮学校に統合。

休校となり、今に至ります。

 

T朝鮮学校 外観

では物件を紹介していきます。

 

物件に到着したのは、こんな感じにまだ月が出ている夜明け前でした。

というのも、目の前に民家があるからです。

 

これは帰る時に撮った正面玄関です。

冬に行ったのでこのように草が枯れてますが、夏は青々とした草で覆われています。

 

校庭もほぼ草で覆われており、他の人が通ったであろう轍を歩かないと足を取られそうです。

T朝鮮学校 内観

次に内部です。

 

T朝鮮学校と言えば、この空中教室が有名です。

 

空中教室以外にも何部屋か教室はあるんですが、ほぼほぼ残置物はないのと荒らされて落書きされている箇所が多かったです。

 

一部の蔦が覆っている教室には、ポートレートなどで使ったと思われる机と椅子が置かれていました。

 

(三脚持っていかなかったのでブレブレの写真ですが)

 

まとめ

以上、T朝鮮学校の探索記録でした。

 

ヘッドライトを持っていくのを忘れたため、地下には行けなかったです。

再訪する際にはヘッドライトを持っていって、地下にも行ってみたいと思います!

所在地非公開 O村

まいど、ボブです。

 

今回から数回は年始の探索記録です。

2020年は1月2日の早朝から探索に行っておりました!

 

 

前々から行きたかった場所に加え、再訪もしてきましたので記事にしていきます。

 初回は前々から行きたかったO村です。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

O村の歴史

ここはとあるテーマパークのルーツとなった場所です。

1983年開園、2001年10月に閉園。

2003年に地元行政が食のテーマパークとして再オープンしたようですが、再度閉園となりました。

 

O村の名物、メリーゴーランド

O村と言えばこれです。 前からこれが見たくて行ってきました。

 

 

1月に行ったのに蔦が枯れていないのはビックリしました。

観覧車など

この他には観覧車も変わった形をしており、かっこよかったです(^^)

 

 

ただし海側のウッドデッキは踏んだら海にそのまま落ちるような状態だったので、近づかないほうが無難です。

 

 

その他、「未来都市」という名前をつけられた建物の中が解体途中で放棄され、未来も何もない状態になっていました。

 

 

ここは階段が屋根裏まで繋がっていたりして、色々と探索できました。

 

その他の写真

 

まとめ

以上、2020年初探索の様子をお届けしました。

 

ここはまだ半分現役で使われていたり、近くの行政関連の施設から丸見えだったりします。

 

なのでもし行かれる際は最新の注意で行かれることをおすすめいたします。

笠○観光ホテル

まいど、ボブです。

今回は京都の有名な廃墟の探索記録です。

 

廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。

https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433

 

笠○観光ホテルの歴史

笠○観光ホテルは1962年に開業。京都と奈良の県境にある川の近くに建てられました。

 

元々はホテルの前を車で通っており、かつ温泉もあったので賑わっていたホテルでした、宿泊料は2食付きで2,500円〜4,000円だったようです。

 

しかし現在関西に住んでいる方であれば分かるように、笠置行きの直通列車がなくなったことに加え、国道の新道にトンネルができたことにより客足が遠のきます。

 

結果、1990年に閉業となりました。

 

笠○観光ホテルの外観

外観はこんな感じです。

 

 

地上5階+地下1階という大きさに加えて、石垣の上に立っているので下から見上げる形になります。

 

ちなみに石垣は結構滑りますので、装備がない方や事前にルートを知らない方は行かないほうが良いと思います。

 

笠○観光ホテルの内観

 では中を見ていきましょう。

 

 

1階の入口部分にあったバリケードは倒れてしまっておりました。

この入口の天井も常に風でユラユラしており、危ない状態でした。

 

 

反対側から。

 

で、1階部分です。

 

 

木が選定してあれば、テラスから外の景色を眺められる作りになっています。

ちなみにここは落書きがかなり多いですが、許可された場所以外の落書きはやめてほしいなぁと思います。

 

 

室内には2箇所階段があったのですが、その両方共が落ちて吹き抜けになっています。

この物件は途中で解体工事が止まったとのことなので、その影響かもしれませんね。

 

では、残っている階段で上の階へ向かいます。

 

 

上の階へ行くと、宿泊部屋(だったと思われる場所)が現れます。

 

 

こんな感じで、川や山を見ながら温泉に入れたようです。

これが4,000円だったら絶対泊まりに行きますね。

 

ちなみに壁の向こうにはなにもないので、落ちたら死にます。

 

 

先程吹き抜けになっていた部分ですが、光がうまいこと欄干に当たってきれいな光景が撮れました。

 

で、どんどん上に上がっていくと屋上部分に出ます。

屋上の1つ下にはベランダのような場所があるのですが、そこから革の向こうを走る列車を見ることができます。

 

 

屋上部分はこのように水が張っていることが多く、奥のエレベーター制御室にはたどり着けませんでした。

 

ここは秋に来たら紅葉のリフレクションが撮れそうです。

 

 

こちらは先程の吹き抜けと逆側の階段跡です。

絶妙なバランスで落下していない状態ですね・・・。

 

まとめ

以上、笠○観光ホテルの探索記録でした。

ここですが、旧道を通っていくため落石に遭遇する危険性が高いです、。

 

 

また解体途中で放棄された物件ということもあり、どこが崩れるか分かりません。

もし行かれる方はお気をつけください。