京都市バスの廃バス
まいど、ボブです。
前回で台湾探索は終わり。
今回は以前から探していた廃バスを見つけた探索記録です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
京都市バスの廃バス
以前からどこかの山中に京都市バスの廃バスがあるという話を聞いていました。
で今回偶然にしてその場所を見つけることができたので、行ってきました。
いつの京都市バス?
で気になるのはいつの京都市バスなのかということです。
これは後ほど説明しますが、このページの情報をもとに考えると昭和36年に使われていた京都市バスだと思われます。
その理由は後ほど説明させていただきます。
京都市バスの外観
外観はこんな感じです。
近くに行くと、いすゞのバスだということがわかります。
当時の運賃は80円だったようです。
京都市バスの内観
中はこんな感じです。
いすゞ BR351だとおもった理由
この理由ですが、後ろの入口に書いてあったこの言葉です。
いすゞBR351だと思った理由は、前乗り後ろ降りだったことです。
これ以降のバスは全て後ろ乗り前降りだったようです。 今のバスと一緒ですね。
で、いすゞで前乗り後ろ降りだったバスはBR351しかないのでそうだと思いました。
まとめ
以上、京都市バスの廃バス探索録でした。
また違う季節のときに再訪して別の表情を撮りたいと思います。
FUTURO・VENTURO廃墟群
まいど、ボブです。
台湾遠征第5弾。 今回で台湾遠征はラストです。
今までの投稿:
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
FUTURO・VENTURO廃墟群の概要
ここにはかつて別荘地として売り出されていた場所があります。
それが今回紹介する廃墟群です。
ちなみにFUTUROとVENTUROって初めて聞く人が多いと思うので簡単に解説しておきます。
VENTUROとは
Venturoは、1971年にフィンランドの建築家Matti Suuronenによって設計されたプレハブ住宅。コンセプトは「新しい週末のコテージ」
床面積は45m²、家の重さは4トン。
2つのモジュールに分けて出荷されました。
FUTUROとは
FUTUROは、マティ・スウロネンが設計した円形のプレハブ住宅。
1960年代後半から1970年代初期に作られましたが、全部で100棟も作られませんでした。
FUTUROの大きさは高さ4メートル(13フィート)、直径8メートル(26フィート)です。
この場所はこのFUTUROとVENTUROがいくつも残っています。
その殆どは使われていないのですが、一部の住宅はまだ住んでいる方がいますので注意しましょう。
FUTURO
こんな感じに、そのままつかわれているものもあれば建物の一部に組み込まれているものもありました。
VENTURO
両方とも中はこんな感じでかなり荒れています。
ちなみに僕らが撮影しているときにツアーガイドみたいな人がバンで来て、建物の紹介をしていました。
なので現地的にはここは観光地ですね。
まとめ
以上、FUTURO・VENTURO廃墟群の紹介でした。
ちなみにここの横には海鮮レストランの廃墟があるんですが、今回はタイミングが悪く入れませんでした
次回台湾行った際には絶対に行こうと思います!
Z寺
まいど、ボブです。
台湾遠征第4弾。 今回は山の上の廃寺の紹介です。
今までの投稿:
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
Z寺の歴史
1925年に「德實」という人が建設。
1973年の再建時に、違法建築だと指導を受ける。完成前に施主がなくなり、廃墟化。
2014年に解体を求めた抗議が起きますが、市の資金不足のため解体は実施されず。
2017年11月に不審火があり、4階部分が燃える。
2019年5月にも再度不審火が起こる。
というのが、現地のWikipediaからの情報です。
僕たちが行った半年前にも不審火があったのは初めて知りました。
Z寺の外観
外観はこんな感じです。
街から近いのですが、行くまでの坂がけっこうきついです。
では色々と紹介していきます。
Z寺の内観
火事が2回起こったこともあり、焼けている部分がけっこう多かった印象です。
Z寺の残留物1:仏像
ここは残留物が多かったのですが、なんと仏像もそのまま残っていました。
しかも1体だけではありません。
暗い場所に残っている仏像も多く、雰囲気ありました。
Z寺の残留物2:紙銭を燃やす台
台湾や日本の一部では、先祖や神様にお金を届けるために「紙銭」と呼ばれるものを燃やす習慣があります。
このお寺にも、そんな紙銭の燃え残りや紙銭を燃やす台が残っていました。
龍が横についていて、かっこいいですよね!
Z寺の残留物3:寝具など
部屋の一部が宿坊を兼ねていたのか、家具や寝具が大量に残っていました。
Z寺の残留物4:ピアノ
何故お寺にあるか分かりませんが、ピアノが残っていました。
Z寺のその他の写真
まとめ
以上、Z寺の紹介でした。
日本の廃墟ブログで全く見かけない物件なので、日本人で行っている人は少ないのかな?
台北からもそんなに遠くないので、再度台湾に行った際には再訪したいと思います。
円山旧児童楽園(台北市立児童育楽中心)
まいど、ボブです。
台湾探索第3弾です。
前回までの記事:
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
円山旧児童楽園の歴史
円山児童楽園は日本統治時代の1934年に開園。台湾で最も古い、唯一の公営遊園地でした。
70年にはとなりに動物園が開業。幅広い世代に愛された。
しかし周辺に残っている古跡を保存するため、2008年には現在の場所へ移転することが決まっていました。
そして2014年12月16日に閉園となりました。
円山旧児童楽園で残っているもの1:観覧車
地下鉄の円山駅から徒歩で行くと、このような門が見えてきます。
その先に観覧車が残っています。
円山旧児童楽園で残っているもの2:メリーゴーランド
観覧車の奥には、メリーゴーランドが残っています。
円山旧児童楽園で残っている遊具はこの2つだけですが、奥には台湾の昔の建物が残っています。
円山旧児童楽園で残っているもの3:円山文化遺跡
「昨日世界」と書かれた場所には、清朝時代の建物を復元した場所があります。
一部の建物しか開放されていないですが、もう少し時間が経てばより植物が生えいい感じになると思われます。
円山旧児童楽園で残っているもの4:児童科学館
最後に紹介するのは、科学館です。
今は完全に囲いで囲まれており、中に入ることはできません。
加えてこちら側の入り口のすぐ横には警察の派出所があります。
まとめ
以上、円山旧児童楽園の紹介でした。
台北駅から地下鉄で数駅で行けるので、台湾行かれた際にはぜひ行ってみてください。
千越大樓(Qianyue Building)
まいど、ボブです。
また間が開いてしまいましたが、11月頭にいった台湾探索の続きです。
前回の物件はこちら
今回の物件は台中駅から徒歩圏内にある物件です。
なお100台湾ドル払うことで誰でも入ることができますので、台湾行かれた際はぜひ行ってみてください。(ヘルメットとか諸々持参で)
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
千越大樓の歴史
千越大樓は1974年に完成。デパート、映画館、レストラン、ディスコ、ナイトクラブ、スケートリンク、塾などが入る複合施設でした。
その時代の台中の若者たちは学校が終わったらこぞってこのビルに遊びに行き、青春を過ごしました。
ですが、度重なる火災の影響もあって入居者やテナントはどんどん減少。
2000年代にはほぼ廃墟のような状態になってしまいました。
そんな千越大樓を2017年に借りたのが、今管理を行っている「ESCAPE PLAN X」です。彼らの手によって千越大樓はアートスペースへと生まれ変わりました。
千越大樓の外観
外観はこんな感じです。
1階の店舗はまだ営業しているところが多いので、迷惑をかけないように階段を上がりましょう。
千越大樓の内観
中に入るとまずはこんな感じのソファが迎えてくれます。
インスタ映えを狙っている人が、このソファでポートレイトをよく撮っているようです。
どんどん階段を上がっていくと、こんな感じに多数のアート作品を見ることができます。
屋上にたどり着くと、飛碟餐廳(円盤レストラン)と呼ばれていた場所にたどり着きます。
この中の床はかなり傷んでいるので、もし2階で動き回るつもりであればお気をつけください。
あと屋上の周りには何も囲いがありません。
端を歩いているときに風で煽られたりしたらそのまま1階まで落ちますので、気をつけましょう。
アートスペース以外の場所も
大体の場所がアートスペースとして使われている千越大樓ですが、一部廃墟のまま放置されている場所もあります。
こちらですが、部屋のセンターにお立ち台があるのでディスコ跡かKTV(中国式キャバクラ)跡だと思われます。
その他学習塾の跡と言われている場所や、中華料理店の跡もありました。
まとめ
以上、台中にある千越大樓の紹介でした。
この物件ですが、複数のブログに2年後くらいに解体され別のビルが建設されると書かれていました。
このアートスペースがなくなるのは悲しいですが、行ける方は自分の思い出と記録の中に残すために行ってみてください。