オリエント急行の廃車両
まいど、ボブです。
今回はとある場所に放置されている、オリエント急行の廃車両に関する探索記録です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
オリエント急行の歴史
このオリエント急行ですが、もともと1966年にオープンしたびわ湖温泉紅葉パラダイスでホテルとして利用されていたもののようです。
1978年に蒸気機関車と寝台車両を連結したホテルとしてオープン。
その当時のCMがこちら。
寝台車両は宿泊できたようですが、宿泊時の食事は食堂車ではなくホテルだったようで、その点が残念だったという記事が残っていました。
その後1998年12月に紅葉パラダイスが閉鎖。それに伴いオリエント急行も解体となったようです。
ですが一部車両は滋賀県から某県に移動。 2001年頃までは私有地で保管され、その後現在の場所に放置されたようです。
オリエント急行の外観
オリエント急行ですが、現在は藪の深い場所に放置されており冬でも背丈を超えるくらいの藪に覆われています。
マダニも多くいる藪のようなので、行かれるのであればそれ相応の装備が必要です。
オリエント急行の内観
オリエント急行の内部は外国の車両らしく、外国語の標識が多く残っています。
中に飾られているポスター類も当時の様子を表しています。
なお、内部はかなり荒れています。
あと車両内に例のブツが4両残っています。
それが何かは、ぜひ行って確かめてください。
まとめ
以上、オリエント急行 廃車両の探索記録でした。
諸々の情報を集めた上で場所を見つけたときは本当に嬉しかったです。
また藪がおさまる時期に再訪しようと思います。
M工場
まいど、ボブです。
今回はとある場所にある工場に行った際の記録です。
訪問後に歴史を調べていたのですが、色々と思うところがありました。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
M工場の歴史
この工場ができたきっかけは、農業以外の地場産業を増やしたいという想いからでした。
1957年の地下資源の調査で、良質な陶石が取れることが判明。
1959年に名古屋の企業が親会社となり、M工場の会社が設立。
最盛期には同地域内に3つの工場があり、沖縄など県外にも出荷されていました。
1979年に親会社に買収されますが、そのわずか3年後に親会社はこの工場を手放すことにします。
この頃は景気が良くなく主事業に注力するということもありますが、先代の社長が引退したというのが大きな理由だったようです。
しかし親会社に見放されても、県と町で新しく会社を作りました。
そして継続すべく頑張っていたのですが、2006年に最後の工場が閉鎖となりました。
M工場の内観
歴史の冒頭に陶石と書いたように、ここは焼き物の工場です。
僕自身地元が陶器工場が多い街で育ったので、色々と想うところがありました。
まとめ
以上、M工場の探索記録でした。
不運なことに探索途中でカメラのバッテリーが切れてしまい、後半はiPhoneのみでの撮影となりました。
また、工場中央にあった研究室も床の腐食が激しく入ることができませんでした。
なのでもっと早く行きたかったなぁというのが正直な気持ちです。
カメラも変わったので、再訪予定です。
J中学校・J小学校
まいど、ボブです。
今回も三重探索の続きを書きます。
三重探索の記事:
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
J中学校・小学校の歴史
小学校は1903年に、中学校は1947年に創立。
昭和初期の地場産業だった鉱山関係者の子供により児童数が激増。
しかし鉱山の閉山と共に児童数も減少。
小学校は1994年に新入生がなく自然休校に。
中学校は1996年に休校となった。
J中学校の様子
中学校と小学校の位置関係は、小学校の上に中学校がある形です。
なのでまずは上の中学校から見ていきます。
入り口はこのようにかなり崩壊が進んでいます。
廊下も雨漏りしている箇所が多く、木材箇所は腐食が進んでいました。
一番奥の部屋にはアコーディオンやドラムなど音楽機材が多く置かれていました。
理科室
奥から2番目の部屋は理科室。
人体模型はいませんでしたが、機材が多く残っていました。
なお床がかなりたわんでいますので、入れなくなるのも時間の問題かなと。
校長室
校長室もかなり床が傷んでおり、奥の金庫まではたどり着けませんでした。
ちなみに校長室に通じる形で投薬口のような窓がありました。
これは何に使っていたのか気になります。
職員室
職員室も残留物が多かったのですが、廊下側からは入るのが難しかったです。
外側からなら入れるかも知れません。
美術室?音楽室?
オルガンがあるのに石膏像が置いてあるという謎な部屋です。
部屋の一部には屋根から落ちてきたと思われる瓦が落ちていました。
廃校探索中に瓦が頭にヒットとか、しゃれにならないですね・・・。
J中学校の2階の様子
アコーディオンが置いてある部屋の奥に階段があり2階に登れます。
2階は壁の崩壊がかなり進んでいました。
教室は1部屋だけでしたが、こちらもかなりきています。
鉄骨が下にあるのですぐに崩れるわけではないですが、それでもここに入るのは怖いですね。
雨上がり直後だったので、階段と窓はすごいいい感じでした。
J中学校の体育館の様子
個人的にこのJ中学校の見どころは体育館です。
崩壊具合と残留物がいい感じなんです。
この崩壊している箇所からは桜も見えて、廃校と桜を同時に見るという乙な体験もできます。
あと今回は紹介していませんが、図工室のような万力がたくさん並んでいる小屋があります。
その小屋の奥に自家製のマシーンが置いてますので、ぜひ見てみてください。
J小学校の様子
次に小学校の紹介なんですが、構造はほぼ同じでかつ残留物も少なかったのでサラッと紹介させていただいて終わりにします。
まとめ
以上、J中学校・小学校の探索記録でした。
ここは毎日この景色を見ながら授業を受けていたのかと思うと羨ましくもなるくらい、景色が良い場所にあります。
特に中学校は高台の上にあるので、近くを流れる川や山を存分に堪能できます。
ぜひ行ってみてください。
Y川小学校
まいど、ボブです。
だいぶ間が空いてしまいましたが、前回の三重探索の続きを書きます。
前回の記事:三重県 N山小学校 - ボブ@廃墟探索しようズの廃墟録
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
Y川小学校の歴史
昭和34年に現存する木造校舎を建設。
昭和50年に開校百周年行事。
昭和63年にN山小学校と同じ学校に統合され、休校に。
Y川小学校の外観
こんな感じで、草が生えまくっております。
休校となってますが、実質廃校状態です。
Y川小学校の内観
ここは窓がかっこいい廃校でした。
ここはほんとに、ひたすら窓を撮ってましたね。
一部の教室は休校後も柔道教室として使われていたようで、畳が敷かれていました。
外出自粛前の、桜の咲いている時期に行けて良かったです!
まとめ
以上、Y川小学校の探索記録でした。
結構床がもろくなっているので、もし行かれる方は足元にご注意ください。
大阪市北区で行われた「ハイパー縁側vol24」で廃墟に関する話をさせていただきました。
まいど、ボブです。
先月末の5月29日に、大阪市北区中津で定期的に行われている「ハイパー縁側」というイベントで話をさせていただきました。
ハイパー縁側とは
梅田のすぐ北に位置する中津・西田ビルの半地下屋外の駐車場スペースをリノベーションしてつくられた階段状のベンチは、どんな方でも利用することができます。
私たちはこの場所で住民の方々、通りすがりの人々、遊びに来た子供達など、どなたでもご利用可能な交流の空間「次世代の縁側」を舞台に、地域やコミュニティのあり方を語り合う通算100回のイベントを開催しています。
その時の映像はこちらから見れます。
お時間ありましたらぜひご覧ください(^^)
にしてもお腹がひどい・・・。