N山小学校
まいど、ボブです。
今回から数回は、限りなく和歌山よりの三重の探索記録です!
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
N山小学校の歴史
できた時期は不明だが、元々は村にあった小学校。
1955年に3つの村が統合し、町となる。
1978年に同地域の一大産業であった鉱山が閉鎖され、児童の転出が急増。
1989年に同町内の別の小学校の分校扱いになるも、翌年には休校となり現在にいたる。
N山小学校の外観
山道を走っていると、急に開けた土地と3つの校舎が目に入る。
敷地内にはこの3つの校舎と体育館が残っている。
また体育館の奥に民家があったのが印象的だった。
N山小学校の中:一番奥の校舎
今回は奥の校舎から見ていったので、順次紹介していきます。
一番奥の校舎が廊下部分の損傷が激しかったです。
一番奥の校舎は体育館が近いためか、体育の道具や音楽の道具が置かれていました。
N山小学校の中:真ん中の校舎
真ん中の校舎は一番残留物が多かったです。
様々なものの用具置き場や、図書館・理科室・職員室がありました。
用具置き場
図書室
理科室
職員室・保健室
N山小学校の中:手前の校舎
手前の校舎に入ると、何やら白い布がかけられたものが・・・。
それを取ってみると
なんと沢山の動物の剥製でした。
クマ・イノシシ・鷹など様々な種類の剥製がありました。
この部屋以外では、家庭科室も装飾が良かったです。
家庭科室
最後に
以上がN山小学校の探索記録でした。
ちなみに敷地内に開校100年を記念する石碑が立っていますが、この100年はN山小学校のことではなく本校のI鹿小学校のものだと思われます。
I鹿小学校は明治9年にできていますが、未だに現役の小学校ですので長い歴史を持っています。
K荘
まいど、ボブです。
今回は兵庫県にある有名物件の探索記録です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
K荘の歴史
1970年代に開業。 1988年頃までは営業していたようですが、2000年代には廃墟化。
物件に続く道の入口にはY観光所有地という看板が倒れている。
また、K荘という名前が一般的に知られている名前ですが、受付にある鍵には別の名前が書かれていたりと謎が多い物件です。
K荘の様子
K荘は下の道から見ても存在感たっぷりに、山の上に建っています。
K荘に行くまでの道は、このようにかなり荒れ果ててます。
これを登っていくと、トラックの廃車があるので右に曲がります。
物件のすぐ近くもこのように荒れ果てています。
ちなみに道中に廃バスがあるんですが、これも以前見たものと同様のいすゞのものでした。
このいすゞマークかっこいいですねー。 復刻してほしいです。
で物件についてすぐ目に入るのが、有名なロビーです。
ここから奥の階段を登って、上の階に行きます。
2階は宴会場だったようですが、天井が落ちて荒れ果てています。
さらに上に行くとテラスに出られる部屋があり、海を一望できます。
ちなみに手すりは今にも落ちそうなので、触らないほうがいいです。
さらに上の階には、海を見ながら入れるお風呂が備わっています。
これは現役当時に来たかったなぁ・・・という思いになります。
最上階にあるのは、ボイラー室です。
誰かが書いたこのマークのせいで、あらぬ噂が立っていますね。
最上階まで行ったので、来た階段と反対側の階段で降りると2階にソファがありました。
後ろの緑も相まって、いい感じですね。
この部屋の反対の部屋もカーテンがいい感じでした!
裏側に回ると、太い蔦が建物の壁を覆っていました。
このように、人工物に蔦や苔がはっているのが好きなのでこの外観は大好きです。
まとめ
以上、兵庫のK荘の探索記録でした。
歴史がまだまだわからない物件なので、分かったことがあれば随時追記していきます!
K鉱山選鉱所
まいど、ボブです。
今回は少し前に行った、三重・和歌山遠征の探索記録です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
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K鉱山の歴史
K鉱山周辺には小規模な鉱山が多数あり、歴史としては奈良時代に東大寺の大仏に使われたとも言われています。
このK鉱山が大規模になったのは、1934年に某企業が周辺の鉱山を買収・統合した結果です。
44年間採掘が行われ、1978年に閉山。
今回行った選鉱所は1982年に解体され、コンクリートのみが残っています。
なお、当時鉱山で使われていたトロッコが観光列車として近くの温泉地で使われています。
K鉱山選鉱所の様子
K鉱山選鉱所の下には老人ホーム?が2つあり、時間帯によっては車の通りがかなり多いです。
K鉱山選鉱所の上に行くには、このようなインクラインを登っていく必要があります。
上から見た選鉱所跡はこんな感じです。
ちなみに最近設置されたようですが、手すりなどが整備されていました。
近々一般公開でもされるんですかね。
で、インクラインを登りきった奥には巨大なシックナーがあります。
これだけ大きいものは池島でも見たことがありませんでした。
大きすぎて上手く撮れなかったのですが、中にも降りれます。
シックナーの中に入ったのは、栄の島以来ですね。
ちなみにこの選鉱所以外にも周辺に竪坑がいくつか残っているみたいです。
崩落する可能性など、危険性が高いのですが機会があれば行ってみたいですね。
六甲登山架空索道
まいど、ボブです。
今回は兵庫の六甲山にある駅舎跡の紹介です。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
六甲登山架空索道の歴史
六甲登山架空索道は、かつて兵庫県神戸市灘区に本部があった事業者、およびその索道を指します。
1931年(昭和6年)に六甲山登り口~六甲山上間で営業を開始。
しかし1944年(昭和19年)に、戦時体制による鉄材供出のため、競合するこの2本の登山輸送機関(ケーブルカーとロープウェイ)のうち片方は不要不急線とされました。
しかし、索道の方が撤去が容易だということで廃線となった一方で、ケーブルカーは完全に撤去できないうちに終戦を迎えた。
六甲登山架空索道の写真
六甲山の登山口を入るとすぐ、右手にコンクリートの遺構が見えます。
近くに行くと、結構な高さです。
これは駅のコンクリ基礎の部分ですね。
ちなみに下にも入れますが、足が細くなってきているので気をつけましょう。
あと、3メートルから5メートル近くの深さの穴があります。
落ちたら自力では上がれないので気をつけましょう。
駅の痕跡はこんなところに残ってますね。
ちなみにこの建物は裏に回るとさらにかっこいいです。
いやぁ、おっきいコンクリの建物ってかっこいいですね。
まとめ
以上、六甲登山架空索道の紹介でした。
六甲山のケーブルカー駅から徒歩で1キロ位なので、近くの方は安全に考慮した上で行かれてはどうでしょうか。
Y温泉ロープウェイ
まいど、ボブです。
岡山探索の続きです。
前回の物件はこちら。
廃墟探索は十分な装備と警戒がないと、怪我や事故に繋がります。
ここにある情報を元に探索してトラブルに巻き込まれたとしても責任は取りかねます。
ご注意ください。詳しくは下記URLをご覧ください。
https://haikyo.hatenablog.jp/entry/20190306/1551872433
Y温泉ロープウェイの歴史
Y温泉ロープウェイは、1975年に温泉地からダム湖に向けてかけられたロープウェイでした。
元々はダム湖の方にレジャーランドを作るという計画があったので作られたロープウェイでした。
しかしレジャーランド計画は頓挫。 結果ロープウェイも開設から6年後に閉業となりました。
Y温泉ロープウェイの外観
Y温泉ロープウェイの麓駅の外観はこんな感じです。
左のほうが山頂方面なので、そちらに向けて開かれています。
Y温泉ロープウェイの内観
Y温泉ロープウェイといえば、奥にある螺旋階段が有名です。
また、乗口上にある点検路の車輪もいい感じに錆びていて、味わいがあります。
ロープウェイの駅にある車輪はどれも大きくていいですね!
といっても、K岳くらいしか行ったことないですがw
まとめ
以上、Y温泉ロープウェイの探索記録でした。
螺旋階段にサクッと行くには、入り口をスルーして奥のドアから入るのがおすすめです。